ケアエスコートの井上です。
私達にご依頼いただくとき、ご依頼者の方から「認知症があります・・・」と伺うことがあります。当然、施設に入られている方は、少なからず認知症状をお持ちのかたが多いのですが、在宅で暮らしている方でも、ご依頼を頂きます。
認知症については、世間一般で「治らない病気」と恐れられていることが多いかと思います。
昔は「頭がぼけてしまった」と思われることが多く、以前の呼び方も「痴呆症」などと言われていました。ばかにされたり、間違いを指摘されたり、ずいぶんつらくて大変な思いをされた方も、多かったことでしょう。
でも、現在ではれっきとした、脳の「病気」であると言われています。
病気ですから、治療が必要です。
なのに、ご本人の状態をまわりが気づきにくく、性格だから・・と、診断や治療までに時間がかかることがあります。久しぶりに実家に帰った娘さんが、お母さまの変わりように驚いて「何かおかしい?」と気づき、解る事もあります。同居の家族は全くその変化に無頓着だった・・・とか。
それだけ、身近な人にはわかりにくい症状なのです。
・同じことを何度もきく
・書類の整理ができない
・同じものを何回も買ってきてしまう
・身だしなみを気にしなくなる
・人格が変わり、怒りっぽくなる
ここで、再度お伝えしますが、認知症は脳の「病気」です。脳梗塞や糖尿病、心疾患など、色々な病気がありますが、それらと一緒です。
ご本人が何も苦しんでいないかといえば、全くそんなことはありません。自分の病気について、特に認知症の初期のころには、自分の体と心が思うようにバランスが取れず、苦しんでいるということを理解してください。最近では、認知症の患者さん自身が、その苦悩を講演会で話したり、書籍にしたりして、認知症についての理解を求めています。
介護を初めて何年か経った頃、ある若年性認知症の方のケアに入りました。
その方は、生活のすべて、ケアが必要な段階でした。でも、デイケアに行くことも拒否、ケアスタッフの入室もかたくなに、断る。とにかく、自分が嫌なことに関しては、がんとして動きませんでした。
唯一、私だけを受け入れてくれることが多かったのですが、あるとき私がデイケアに行くように誘導をしていたら、「絶対にいかない」と強く拒否をされたことがありました。
「あなた、嫌よ」
私はなぜか、そのとき、どうしてか?その理由を聞きたくなって、
「私が嫌いですか?」と思い切って聞いてみました。
そうするとその方は、
「嫌いじゃないけど・・・」と「嫌なのよ(多分デイに行くのが)」と。
それは、本人の伝えたい思いと少しずれがあって、思いを正確に伝えられていなかったのです。
私は、その方が言葉にできない想いを、その立場になって考え、代弁できるようになりたいなと感じました。また、その人の生活を穏やかに過ごさせてあげるには、どうしたらよいか?を知りたいと思いました。
その言葉の中にはケアする側が忘れてはならないことが、沢山つまっています。一文を紹介しますね。
「抜群の記憶力を持っていたのに、人の話の筋もわからなくなってしまう。
どんなに頑張って、努力しても、物事や言葉は、意識からすぐに消えていく、私のザルのような頭はどんどんもらしてしまう」 ~クリスティーン・ボーデン~『私は誰になっていくの?』
一方ケアについてはこうも語っています。
「認知症の患者は、その手を握ってくれる手を、ケアする温かい心と、
自分ではもう考えられなくなったときには、自分のために考えてくれる存在を、
そしてアルツハイマーという迷路の危険に満ちた角や、くねった道筋を旅していく過程を
見守ってくれる存在を求めています」
今まで、エスコートさせていただいた方のなかにも、たくさんの認知症の方がいらっしゃいました。
その方たちに私たちが一番してはいけない事、それは私達ケアスタッフのペースで動くことです。特に挙式や披露宴は時間も決まっていて、時間通りに動かなければなりません。また認知症の方にとっては、長時間の滞在となります。
場所もいつも見た景色ではありません。いつも世話をしてくれるケアスタッフも、そこにはいません。いつもよりもきれいな装いのご家族に、ご家族と判断できず、不思議なお顔をして、じっと見つめる場面もありました。
・やさしく見守る
・余裕をもって対応する
・目線を合わせ穏やかな口調で
・危険を早めに察知
・適度な気分転換を
・一緒に喜びを分かち合う
これはケアをするときに注意しているポイントです。認知症の方が不穏な状態になるときは、このどれかが、抜けているのです。
ある方のケアエスコートをしたとき、披露宴の最中から「ご自宅に帰りたい」と何度も言われたことがありました。ホテルでの挙式だったため、私達スタッフは披露宴の最中に一度、会場の外のテラスにお誘いして気分転換を図りました。
一瞬でも、外にでたことで目線が変わり、思考も「家に帰る」から、「見晴らしがよい」にかわりました。適度な気分転換です。認知症の方は、自分の思いをうまく伝えられないことが多いので、気持ちを推し量る必要があります。
それは、5分程度の休憩でしたが、私達自身が常にしている「背伸びをする」や「コーヒーをのむこと」と何ら変わらない事です。集中力が切れてきたことを、信号として教えてくれるのを、いかにしてスタッフが気づくかこれにかかっているように思います。
・大声を出す =不快なこと
・同じことを繰り返し言う =一番大事で、気になる
・涙を流す =感激している
・車いすでもじもじしている =おしりが痛くなってきた・・
・目をつむってじっとしている =音がうるさいと思っている
どんなに言葉をうまく話せない人でも、喜んで参加されているんだなと、行動や発言をみて、わかる事があります。興奮して大声や涙を流すとき、いつもより会話が多くなっているときも、その場を楽しんでいらっしゃるのねと気づきます。たとえ認知症があっても、結婚式は十分に楽しむことができます。
結婚式は、認知症の方にも楽しめるハレの日です!! 次の日は、「なんか昨日、嬉しいことがあったような??」たぶん、そんな感じ。
でも、そのくらいでいいのです。
翌日には忘れてしまっても、その時を一緒に共有できることって、とっても素敵ではないでしょうか。笑顔の写真を一緒に撮ることに、きっと意味があるのではないでしょうか。
ですから、認知症があっても、ためらわずに、おじい様・おばあ様、そしてご家族様を、ぜひ結婚式にご案内してください。
「嬉しかった」「楽しかった」という感情を残してあげてほしいと思います。